愚者の成功術

凡人は、凡人らしく、ぼちぼちと。

【愚者の読書術】99%のビジネス書がゴミである理由

結論から言う。

本の内容がゴミなのではない、読者がクソなのだ。

脳内フィルターがスカスカなせいで、安物の空気清浄機のごとく知識が右から左へと抜けてしまっているのだ。

書き出しから言葉が汚くなってしまった。気を取り直そう。

 

前回とは別の知り合いの話をする。

彼は学生時代から友人たちの間でも評判のいわゆる「ビジネス書マニア」だった。

本を読む時間を惜しんでバイトすらせず、親からの仕送りを上手くやりくりして毎月何冊ものビジネス書を買っていた。彼の安アパートに遊びに行くたび、床が抜けそうなほど積み上げられた本の山に圧倒され、これだけ勉強熱心な彼は、社会に出たらさぞかし輝かしい成功を手にすることだろうと、仲間内の誰もが思った。

しかし、そうはならなかった。

やがてそれぞれ別の道を歩み出した僕ら。学生時代ほど頻繁に顔を合わせることもなくなってしまったが、それでも年に数度かは仲間で集まって仕事の愚痴やらを言い合う会を設けていた。どこにでもあるありふれた飲み屋の光景、それは実にくだらなく、それでいてかけがえのない宝石のような時間であった。

卒業して数年が経った頃のことだろうか、その年の正月早々設けられた飲み会の席で、彼がポツリと漏らしたのだ。

「どうして俺は成功できないんだ」

酔っていたのだろう。酒になのか自分になのかは分からない。おそらく両方だったのだろう。

それまでの彼は、仲間内でアドバイス役だった。

社会に出たばかりの僕らが漏らす仕事の悩みを、ありとあらゆるビジネス書の知識を引用しながら「こんなやり方もある」「こうしてみたらどうか」と助言してくれる。そのアドバイスは実に有用で、僕らは幾度となく助けられた。就職活動でもいの一番に内定をもらった彼は、かつて予想したようにさぞかし立派な成功を成し遂げているのだろうと、この時まで疑ってすらいなかった。

しかし、そうではなかった。

堰を切ったように溢れ出す彼の悩みは、僕らの想像だにしないものだった。就職浪人になるのが怖く、焦って入ったという会社で、彼は仕事のできない男としてのレッテルを貼られていた。いまにも傾きそうな会社の、決して優秀とは言えない社員たち。彼らに影でバカにされる毎日は、彼の心を少しずつ蝕んでいった。

こういった席では禁断の話題ではあるのだが、このとき初めて皆のもらっている給料を明かしあった。彼のそれは仲間内で最も少なかった(※実質的には、結婚して奥さんに財布の紐を握られている友人が最も貧していたが)。

あんなに有益なアドバイスをくれる彼が、どうしてそんな扱いなのか。僕らは不思議でたまらなかった。もっと色々なことが聞きたかったが、その日は荒れる彼をなんとか宥めることに終始した。

それからはタイミング悪く、仲間たちの都合が上手く合わずに、飲み会が開かれることはなかった。僕も日々の雑事に追われ、彼を気にすることもほとんどなくなってしまっていた。なんとも薄情なことだ。

そんなふうに一年と少しが経った頃、突然彼から連絡があった。

「メシでも食わないか」

正直、断ろうと思った。仲間同士で集まった時に、この会とは別に個々で会っているやつらがいると知ったら微妙な気分になる。他の仲間たちもそう思ってか、社会に出てから飲み会以外で僕らが個別に会うことはなくなっていた。

その時、前回の飲み会での彼を思い出した。

「いま誘いを断る方がマズイんじゃないだろうか」

そんな良くない想像が頭をもたげた僕は、了承の返事を出した。

結論から言うと、杞憂であった。

久しぶりに顔を合わせた彼は、憑き物が落ちたようにスッキリとした表情を浮かべていた。休日の昼間、普段行かないような洒落たカフェのテラス席で、彼は腰を下ろすなり言った。

「ありがとう」

なんのことかさっぱりわからない。身に覚えのない感謝はある種の恐怖だと、この時初めて知った。

どうやら件の飲み会での僕の一言が、彼の人生を変えたのだという。

彼はにこにこと笑いながら、詳しい話を始めた。

あの飲み会からしばらくして、家族関係で臨時の出費が続いた彼は生活費に困り、手持ちのビジネス書をすべて売ることにしたのだという(タバコをやめるのが先だったのでは?と口にしたかったが自重した)。

宅配買取の業者にまとめて本を送り、その予想以上に少ない査定額に愕然とした彼だったが、背に腹は変えられないと、値がつかなかったごく一部の本以外をすべて売却し、わずかばかりの臨時収入を得た。

山のような本がなくなり、驚くほど広くなった部屋で、返却された数冊の本を前にした彼は、そのとき不意に、僕の言葉を思い出したのという。

「もっと失敗したほうがいいんじゃないか」

そんなことを僕は口にしたらしい。まったく覚えていない。酔っていたのだろう。酒にでも自分にでもなく、その場の空気に。恥ずかしくて思わず飛び込む穴を探した。

皆のアドバイザーだった彼に、僕はそのとき初めてアドバイスとも言えないささやかな助言をしたのだ。

驚くべきことに、あれだけ皆に有益な助言をしてくれていた彼は、自身でその内容をほとんど実践していなかった。そのことに気づいてすらいなかったのだという。

よくよく考えてみると、彼から悩みや失敗談のようなものを聞いたことは、学生時代からほぼなかった。彼は成功し続けていたのではない。失敗を恐れるあまり、何もしていなかったのだ。

山のような本と共に禊を終えた彼は、残った本の一冊を手に取り、そこに書かれたことを一つずつ試していくことにした。

その本は、特に有名な本というわけではなかった(タイトルは聞いたような気がするが忘れてしまった)。内容も良くある自己啓発本の決まり文句や、根拠のない著者の人生訓ばかりだったという。

彼はそのアドバイスの数々を素直に行動へと移し、当然のように失敗した。

それでも、彼は実践と失敗を続けた。やがて己の失敗を振り返ることを覚え、少しずつ自分に合ったやり方を見つけ出していった。

見違えるように行動的となった彼に、周囲の評価もだんだんと変化していった。

自分を馬鹿にする他の社員たちを、物事が分からない無能だと内心で嘲笑っていた彼は、考えをあらため周囲に教えを請うようになった。元より勉強熱心であった彼が正当な評価を得るのは、当然の結果だと言えた。

まるでおとぎ話のような、出来過ぎた話だ。しかし、彼の生き生きとした笑顔は確かな現実だった。いつの間にか自慢話へと移っていく彼の語りに、僕は苦笑しつつも実に晴れやかな気分にさせてもらった。

 

「本が悪いんじゃない。読む側がクソだったんだ」

これはそのとき彼が口にした言葉だ。自分は賢者を気取った愚者だった、そう彼は己を省みた。

賢者はどんなに薄っぺらい本であろうが、それこそ漫画やアニメ、ゲームからでも学びを得ることができる。子供が描いた落書きからですら、何か人生のヒントを見つけ出してしまう。それが賢者だ。

書かれていることを自分なりに正しく解釈(咀嚼)し、己の考えと結びつけていく。時には言葉の断片からまったく関係のないアイデアを思いついたりもする。彼らにとって、本とは知識のデータベースであるだけでなく、思考をドライブさせるための触媒でもあるのだ。

その分野と関係のない本でもいい。哲学書思想書だっていい。詩やアートであってもかまわない。路傍の石でも大歓迎だ。

一見無関係に思えるジャンルから答えが導き出せた瞬間こそが学びだ。その気づきが、賢者の学びなのだ。実践するかどうかはもはや関係ない。彼らは他者の経験を自分のものにできるのだから

愚者の行うべき読書は、賢者のそれと大きく異なる。ここがボイントだ。

酸いも甘いも噛み分けられない、本をしっかりと咀嚼できない愚者は、一体どうすべきか。

簡単だ。愚直に書かれたことをすべて行動に移していくしかない。

本の内容を鵜呑みにできるのなら、まだマシなのだ。大抵の人間は自分の都合の良い部分しか読まず、己の不都合は見て見ぬ振りをする。そんなものは読書とは呼べない。ただのオ○ニーだ。たまにならいいが、やりすぎは体にも心にもよろしくない。

また言葉が汚くなってしまった。自重しよう。

本の選り好みなんてする必要はない。読む前からその本が自分に合っているかどうか分かるほど、愚者は賢くない。読んで、試して、失敗して、そこではじめて「自分に合っていないのかも・・・?」とおぼろげながら理解する。そうやって徐々に自分というものを浮き彫りにしていく。これが愚者の正しい学びだ。

たまたま小さな成功を得てしまったとしたら要注意だ。それはまぐれ当たりでしかない。成功のからくりを理解していない=再現性がないから、同じことをやっても次は必ず失敗する。そして、その理由がわからない。

ビジネス書を読み漁るのは一旦やめにしよう。目の前の本の山から一冊だけを手に取り、そこに書かれていることを愚直に実践し、失敗しよう。

愚者はとかく失敗を恐れがちだ。

なぜトライアル・アンド・エラーと言い、トライアル・アンド・サクセスと言わないのか。人は失敗からしか学べないからだ。日本語でも試行「錯誤」と言うではないか。

僕ら凡人は本に書いてあることを愚直に猿真似し、当然のように失敗を積み重ね、その中で学びを得ていくしか成功への道はない。

失敗してもいいのなら、本など読まずとも自分の思うままに行動してみればいい。そう考える人もいるだろう。その考えはある意味正しい。ただし、自分が行っている(行った)ことの意味を理解できているのなら、という注意書きがつくが。

いきあたりばったりの行動からフィードバックを得るのは意外に難しい。初心者は何かしらのガイドブックに沿って始めるのが懸命だ。守破離の守というやつだ。

本を一冊に絞ったほうがいいと書いたわけもここにある。複数の師から同時に教えを請う弟子はどちらも中途半端になるのがオチだ。一冊の本を、実践を交えながら何度も読み込むことが肝要なのだ。

本がブックオフに高く売れるような状態では、読んだことにならない。少なくとも愚者にとっては。そんな本がいくら増えても人生は何も変わらない。

何度でも言う。ビジネス書が悪いのではない、読む人間が悪いのだ。

99%の読者が、磨けば光る宝石をゴミにしているのだ。

しかし、それも止む無いことだろう。愚者には宝石を見抜く目が養われていないのだから。

 

愚者は宝を得るために金山を目指すが、賢者は愚者を金山へ向かわせながら足元に転がっているゴミを宝に変える。

目利きのできない愚者は賢者の下で金山を掘り続けながら、少しずつ見る目を養っていくしかない。愚者にとって足元のゴミはゴミでしかない。

いまのあなたにとって、目の前にある本の99%はゴミである。その中から一冊を手に取り、立ち上がろう。本の山を金山に変えられるかどうかは、その一歩にかかっている。