愚者の成功術

凡人は、凡人らしく、ぼちぼちと。

あなたが成功できないたったひとつの理由

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

初代ドイツ帝国宰相、オットー・フォン・ビスマルクの言だ。鉄血宰相の異名を持ち、萌える艦長諸兄にはおなじみ戦艦ビスマルクの由来たる人物でもある。Google画像検索で「ビスマルク」検索すると、可憐な美少女と雄々しい戦艦の間に津川雅彦似のジイさんがひょっこり現れる。なかなかシュールな光景である。

ビスマルクは知らなくても、この言葉はどこかで聞いたことがある人も多いだろう。うんざりするほど様々な場所で引用されており、いまさら取り上げるのも気恥ずかしいが、あまりに手垢がつきすぎてしまったせいであろうか、多くの人がこの言葉の本質が見えていない。

この言葉、愚者と賢者の違いを明確かつ端的に表しつつも、実はほとんど同じことを言っている。

人間は経験からしか学べない。

これが本質だ。

賢者が賢者たる所以は、他者の経験を自分の経験として学びに変えられる点にこそある。

そんなことは百も承知だとお思いの方もいるだろう。しかし、ビスマルクに倣えとばかりにビジネス書を買いあさったり、成功者のインタビューを物知り顔で眺めている限り、あなたが賢者になることは決してできない。

 

知り合いの経営者に、周囲から話し上手と評判の男がいる。

彼にその評判について尋ねたことがあるのだが、本人は自分のことを話し上手であるとは思っていないらしかった。

「人から聞いた話を、そのまま別の人に話しているだけ」

そう語っていた。

しかし、彼の口から紡がれる話はとてもそうは感じられない。彼自身の人生経験を交えて話されるそれを聞いていると、彼が人の体験をしっかりと自分のものとして己の人生に生かしていることをまざまざと実感させられた。

彼のような人を、賢者と呼ぶのだろう。

 

古来、人間は他者の経験を学びとすることで生きぬいてきた。安全に狩りができる場所、食べられる植物とそうでないものの見分け方、病の対処法。その知恵のすべてを自分一人の体験に基づいてしか身につけることができなかったとしたら、とてもではないが生き残っていけなかっただろう。

彼らの方が、現代に生きる僕らよりもよほど賢者であろう。

太古の昔に比べて、命を失われる危険が格段に少なくなくなった現代。賢者であった人間はぬるま湯に浸かりすぎてすっかり愚者へと成り下がってしまった。あるいは愚者こそが人間の本質なのかもしれない。

人間には共感能力というものがある。人の体験談を聞くと、あたかも自分がその体験をしたかのように錯覚してしまう。学術的にも証明されているそうだ。

その錯覚を本物にできる者と、そうでない者がいる。両者を隔てる溝は思った以上に深い。多くの人はそのことに気づいていない。だから自分を賢者だと思い込む。錯覚する。

要するに、愚者は自分が全く見えていないのだ。

愚者には愚者のやり方がある。成功者だって、初めから賢者であったわけではない。彼らだって失敗を繰り返すことでしか学べなかった愚者の時間があったはずだ。

すでに賢者となった彼らの知識を得ただけで、あなたが賢者になれるはずもない。あの知識は賢者が賢者のために記したものだ。暇を持て余した神々の遊びなのだ。

 

そんなことを言っているrefool(僕)も、立派な愚者の一人である。厚顔無恥にこんなブログを書いている時点で、賢明な読者諸兄はお察しだろう。

まずは、自分が愚者であると認めること。

そうすることで初めて賢者へと続く道が開ける。その道の長さは誰にも分からない。